教育業界に携わる人必見!横浜DeNAベイスターズ筒香嘉智選手から学ぶこれからの日本の教育とは?

By 坪内 陽太

2018.02.23  

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こんにちは!マジマガです!

先日、プロ野球横浜DeNAベイスターズで活躍されている筒香選手のインタビュー記事を拝見しました。筒香選手はこの記事の中で「子供の野球離れの課題」についてお話されています。筒香選手曰く、現代の子供の野球離れの一因には、勝利至上主義の風潮が考えられるそうです。しかし、この勝利至上主義は「日本の野球離れの課題」に限った問題なのではないでしょうか。僕は、「日本の教育の課題」に通じているものと考えています。そこで、今回のコラムでは筒香選手の語る「日本の野球離れに課題」を参考に「日本の教育の課題」について考えてみたいと思います。

 

 引用(https://www.facebook.com/baystars.official/photos/a.384497348254673.82273.384409294930145/1497593340278396/?type=3&theater)

筒香選手が語る野球離れの原因とは?


引用(http://toyokeizai.net/articles/-/204757)

筒香選手は記事の中で「子供たちが野球を楽しいと思っていない」ことが子供たちの野球離れの原因であるとしています。プロ野球全盛期には必ず民営放映でナイター中継が行われていたり、スポーツCMには必ずと言っていいほどにプロ野球選手が起用されていました。そのため、当時はプロ野球選手に憧れ、プロ野球選手の打つ姿や、投げる姿を真似して野球を楽しむ子供たちが多くいました。しかし、現代の子供たちはなぜ野球が楽しいと思わなくなってしまったのでしょうか。

その原因の一つに今の日本の青少年野球界が、勝利にこだわりすぎていることが挙げられます。子供たちが参加する野球の大会のほとんどはトーナメント形式で開催されています。トーナメント形式では、勝利したチームのみが次の試合に進めるため、一層の勝利への執着心が生まれるようになります。本来、スポーツは日々の練習を積み重ね、その成果を試合で発揮することに楽しみを覚えるものです。そのため、トーナメント形式そのものはスポーツの楽しみを深くするものでしょう。しかし、現代の青少年野球界では、そのトーナメント形式がある弊害を生じさせています。プレーする選手が楽しむことよりもチームの勝利が優先されつつあるのです。特に指導者は勝利のために「ミス」を減らすために、規則的なプレーを徹底してしまい、自由なプレーはあまり寛容的ではないように思われます。それでは、子供たちが純粋に野球を楽しめなくなってしまうでしょう。

一方で筒香選手はドミニカでは野球を楽しんでいる子供たちが沢山いたことを強調していました。子供たちが野球を楽しめなくなっている現代の日本の青少年野球界とは対称的です。ドミニカの青少年野球界と日本の青少年野球界の違いはどこにあるのでしょうか。一重にそれを断定することは難しいことですが、大きな違いとして、ドミニカの野球少年はミスを恐れずにプレーしています。ドミニカでは指導者がミスに対して、厳しく言及しません。ミスに対して寛容なために野球少年たちは様々なプレーにチャレンジでき、自由に野球をしているのです

また筒香選手は日本の野球人口が減少していることに対する危機感が不足していることも指摘していました。このままだと野球を見る人が減り野球市場が縮小し、また強豪校と弱小校の格差が激しくなることが予想されます。僕自身、野球を嗜んでいる野球人の一人です。僕が野球を楽しいと思うのは、ボールを打ち飛ばしたときの爽快感や勝つか負けるかの駆け引きの中で流れが自チームに傾いているときの熱さを味わっているときです。勝利のために型にはまったのことが強いられる今の野球界のままでは、筒香選手が仰るように子供たちは野球を楽しめなくなってしまう恐れがあると思います。

 

筒香選手の話とつながる日本の教育の課題とは?


ところで筒香選手のお話は野球界だけに該当することでしょうか。僕は、野球界だけに起きている問題とは思いません。日本の「学校教育」にも同様のことが言えるのではないかと思います。

日本の学校教育プログラムでは9:00から16:00頃までひたすら一律に決まった教科の履修が用意されている傾向があります。海外と比較して、これはかなり拘束力が高いのです。このようにやることが決められている環境では、大きく二つの問題が発生します。一つ目に何のために勉強するのかという目的意識を持てなくなってしまいます。目的意識を持てないため自ら学ぶ子供たちが少ないのです。二つ目に間違うことを恐れてしまいます。日本の学校では、自発的に意見を発表する人は多いとは言えません。それは間違うことに大きな抵抗があるからなのです。やるべきことやる方法が決められているため、それを間違えると孤立するという考えが日本の学校教育社会に浸透しているからともいえるでしょう。

僕は、間違うことで学びを得ることもあり、目的意識は人それぞれ違っていいことだと思います。しかし、野球界の現状と同様に日本の学校教育においても「失敗」に過度な恐怖心が生まれているために学ぶことの楽しさを感じることができない子供たちが多くいるのです。

 

これからの日本の教育はどのようにしていけばいいのか?


このような状況において、現代の日本の学校教育では、本質的な理解を促進するような取り組みが始められています。本質的な理解とは、自分に与えられた課題に対する根本的な理解です。自分に与えられた課題とは、すなわち「自分が成りたい姿に対する壁」のことです。例えば、もし英語の先生になりたいのならば、英語の本質を理解する必要性がありますし、プログラマーになりたいのならばプログラミングの本質を理解する必要性があります。本質的理解をすると上辺だけの知識だけではなく、自分に本当の実力が付きます。本当の実力とは、論理的に相手に説明できるという力です。

この力をつけるために必要なのは主体性を身に着けることです。主体性とは自らが進んで学ぶということです。そのために行うべきことは課題を与えた後は自由にやらせ、方法論まで教えないことです。課題をどう克服するかを本人に任せれば、自らが進んで行動を起こさない限り解決しません。それによって主体的に動かざる得なくなります。

以上のように教育とは本質的な理解と主体的な行動を促すべきだと考えています。次にそのような教育の環境下にある中で私たち学生が持つべき姿勢について述べたいと思います。学生が持つべき姿勢は2つあります。

1つ目は自信がなくても一旦、言語化する。2つ目は失敗をしても、諦めずに何度も続けることです。まず、自信が無くても一旦言語化するというのは、言葉にすることで見えてくることもあるからです。頭の中でずっと考えていた場合、思いついた重要なことを忘れてしまったり、整理できなかったりします。しかし、言語化して紙に書くなり、言葉にして誰かに発信することで、忘れなくなり、頭のなかも整理できます。2つ目の失敗をしても、あきらめずに続けるというのは、出来るようになるためには失敗を経験しないと出来るようにはならないからです。発明家エジソンでさえ、電球を開発するのに2万回失敗しています。しかし、彼は諦めませんでした。その結果、電球を発明することが出来て、今では天才などと呼ばれるようになりました。しっかりと自分の中の考えを言語化して、失敗しても諦めずに続けることができれば、きっと成長に繋がるでしょう。

編集後記

この記事を書こうと思ったのはインタビューされていた筒香選手の記事を読んで僕の感じる教育課題とつながるものがでてくるのではないかと感じたからです。厳しく決められたことを指導されるより、自分がなりたい像に対して必要なものを身に着けていく。こちらの方がもし厳しいことがあっても乗り越える力が出てくると感じています。

 

筒香選手の記事をもっと深く読みたいと思った方はこちらをご覧ください

http://toyokeizai.net/articles/-/204757